ウワサの真相
「うん、うん。わかったよー。しょうがないもんね。はぁい。え、埋め合わせー? うん、じゃあ今度はオレのわがま
ま聞いてね。はいはい。うん、じゃあねえ」
ぴ、と電話を切る。雑踏の中で、途端に惨めになった。
ごめんね、今日行けなくなったんだ、と電話が来たのは、待ち合わせ場所に時間通りに着いて、五分くらいしてから
だった。まあ、友達が彼氏と喧嘩しちゃって今うちにいるから、っていうもっともらしい理由ついてたけど、多分あれだね。来る気ゼロって事だったんだね。オ
レは馬鹿ですけど、心底馬鹿ですけどそれくらいわかる。あと三日もしたら、きっとまた電話が来て。ごめんね、好きな人が出来たんだ。って。言うんだろうけ
ど。あーあ、ついてないの。
周りを改めて見回すとカップルばっかりだ。土曜だし、仕事帰りにデートなんてするんでしょ。オレもその筈だった
し。惨めに拍車がかかる。妙に張り切ってきたけど、もう帰ろうかな。帰って、久しぶりに料理でもしよっかな。冷蔵庫何入ってたかな。無駄に時計なんて何回
も見て、もう誰も来ないのに。そこから動けないでうだうだしてたら、あれ、って。
「え?」
顔を上げたら、知ってる顔。
「あれぇ、花井だ。阿部も。どったの、こんなとこで」
久しぶりに見た。特に阿部。花井はちょいちょい見かけたりするけど。
「お前こそどうしたんだよ。阿部、水谷」
「あ? おお、久しぶり」
どこか違うところを見ていた阿部を花井が肘で突く。と、大して感動も無く。まあね、阿部と会って感動もなんもな
いけど。でも、相変わらずというか全然変わってなくて、なんか笑えてきた。
「どうした。ついに頭おかしくなったか」
「阿部…」
「んーん、ちがうー。阿部かわんなくておっかしくって」
「あそ」
「……」
けたけた笑い続けてたら、涙が出てきた。はー、おかし、ってそれ拭ってみたら、さっきまでの惨めさとか全部吹っ
飛んだ気がして。元気出てきたよ。ありがとう阿部。って言ったらきっとすげー嫌な顔するだろうから言わない。
「ところで花井たちは何してんの?」
「あ、オレら? や、たまに飲みに行くかーって」
「一緒住んでんだっけ。何かそんな話してたよね、卒業前ね」
「や、一緒には。近いけど」
「へえー」
「水谷」
「へ?」
「お前暇か」
「阿部?」
花井が一瞬慌てた。オレだって慌てた。だって阿部がオレの予定を聞いてくるとか!
「暇か」
「う、うん。暇。もーめっちゃ暇」
慌てたまま頷くと、そか、って阿部は言って。花井見て。さっき見てた方指差して。それで漸く花井が、納得したよ
うに笑った。なになに、二人だけでわかっちゃってないで教えてよ。
「飲みいくか」
「ふえっ?!」
「水谷、あれあれ」
オレの余りの驚きっぷりに花井が指差して教えてくれた。さっき阿部が見てたのはちょっと前に出来た居酒屋の看
板。飲み放題(三名様より)、の文字。なるほどね、単なる人数あわせね。まあいいけどね。なんかちょっとブルーになってたとこだし。
「行く!」
「おし。じゃああそこな」
「はいはい」
そん時は、あんまり何も感じなかったんだけど。ただ、花井が嬉しそうだなあ、とは、思ったんだけど。
生三つ、ととりあえず飲み物を。こうやってこの三人で飲みに来るのって初めてだ。ていうか阿部と飲むのが初めて
だ。
「なんかさ、懐かしい顔ぶれだよな」
「あー、七組だ! 篠岡も呼ぶ?」
「いーよ、突然呼んだって来れないだろ」
「そうかもだけど」
「あ、篠岡多分無理だぜ」
「なんで」
「今、腹でけーもん」
「はあっ!?」
「え、何で阿部知ってんの?!」
「西広と大学一緒だもん」
「…西広と何の関係が…」
「…だから。西広と篠岡、一緒に住んでるだろ」
「はあああっ!?」
一斉に詰め寄ったら、阿部が一瞬身を引いた。ごめんごめん、あんまりびっくりしたから。
「え、え、西広って篠岡と付き合ってたの?」
とりあえず、花井と一緒に落ち着いて、どきどきしながら聞いてみる。そしたら、あー、っていう。言っていいのか
な、って顔してから。
「高三の夏終わったくらいからちょこちょこ一緒にいるの見かけて、多分受験終わったくらいから付き合ってた」
と、思う、って付け足して。へええ、知らなかった。全然そんな素振りなかったのに。やるね、西広先生。花井も知
らなかったのか。それはちょっと意外だった。
お待たせいたしました、って店員がビール三つ持ってきた。そこで三人揃って顔上げたら、店のテレビが目に入る。
ナイター中継。アップで映し出されてるのは、ちょっと前まで、ほんとに、ほんとにほんとに情けなかった我らがエース。相変わらずどっか抜けた顔して、でも
構える姿はすごく頼もしくって。今や誰もが知ってるピッチャーだ。
「三橋だ」
「ほんとだ」
「懐かしいねえ」
なんて言いながら、とりあえず乾杯、とジョッキをぶつける。こうやってテレビの向こう側で活躍してる三橋を見
て、オレらはこんな所で酒飲んで。なんか変なの、って。また笑えてきた。お通しを摘みながら自然と目はテレビに向く。やっぱり、見たいじゃない。あの投
手、オレらのエースだったんだよって自慢して歩きたいもん。
「同窓会でもしたいねえ。西浦で」
「そだなあ」
「モモカンもシガポもまだ西浦いるよー。ねえ今度皆で押しかけよっか」
「何、OB対現役でやるってか」
「あ、それいいかも!」
適当に頼んだ串やら揚げ物が運ばれてくる。ちらちらとテレビを気にしつつ、懐かしい話に花を咲かせて、気付いた
らジョッキは空。
「阿部何飲む?」
「えー…。何か面白いの」
「面白いのってなんだ」
「普段飲まねえようなやつ」
「あーオレねえ、ファジーネーブル」
「甘くねえ?」
「たまに甘いの飲みたくなるよ。よし、じゃあ水谷くんが阿部のを決めてあげましょう。コレで」
「…阿部はどうよ」
「あー、いいやそれで。花井は?」
「オレは無難に生だ」
「面白くねー」
ふと。妙に阿部の機嫌がいいことに気付いた。酒入ってるから? なんか、けたけた笑ってる。花井も、しょーが
ねーなって顔で。まあ昔から仲良かったしね。高一の時の事とか思い出して、楽しくなってるのかも。実際オレもだし。
「ね、他の連中と連絡取ってる?」
「あー、こないだ田島から電話来た。榛名の球打ってやったって」
「あー!! 見た! すごかったよアレ!」
「な。その後田島と飲んだら、もーすっげえの。榛名まで一緒にくっついて来やがって」
「へえええ!」
その場面を想像したらちょっと面白かった。だって、今話題のプロ野球選手を二人もはべらして飲んでる阿部って。
しかも一人は阿部が大っ嫌いだって公言してる榛名サン。半分顰めっ面で、でも高校の時は田島と三橋にやたらと甘かった阿部は田島の話をうんうんって聞いて
たんだろうなって。
「そしたら三橋がこれから合流するつってメール来たんだけど、店がどこかわかんねーって迷子になるし」
「あっははは!! 何ソレ!」
「冗談じゃねえってのな。あいつそーいうとこ全然変わってねーわ」
「結局合流できたの?」
「とりあえずそこ動くな、つって、周りにある建物片っ端から名前言わせて、オレが探しに行ったんだよ」
「相変わらずー! つかおっかしいよ阿部!」
ほんとそういう世話焼きなトコ変わってない。変わってなさすぎて安心する。げらっげら笑って、おなか痛くなっ
て、ひーひー言ってるところに頼んだ酒が来た。はー、って、落ち着くみたいに飲んだらとにかく甘くて、またおかしくなった。何だ、箸が転がっても面白い年
頃かって、自分でツッコんでみた。
花井は何となく物言いたげにビールに手を伸ばす。阿部は、いい加減しっかりして欲しいもんだぜ、とか言いながら
(それでも、しっかりしたらしたで子離れみたいで寂しいくせに、とは思う)オレの決めたのに口をつけて。首を傾げた。
「…阿部?」
一緒になって首を傾げてみる。すると、ずい、と目の前にグラス。飲めってこと?
「何だこれ。何か…スゲー微妙」
「ふぅん?」
とりあえず一口飲んで、逆側に首を傾げてみた。何だこれ。
「…微妙じゃねえ?」
「微妙…? や、これはこれでっつーか…え、これ何?」
「知るか、お前が頼んだんだろ」
「なんか…何だろ、ね」
グラスを阿部に押しやると、渋々もう一回飲んで。やっぱり首を傾げる。そんで、さっきまで割と笑顔だったのに一
気に顔顰めて、おいしくない、と呟いた。その言い方が妙に幼くて、おかしい。隣で花井が気のない返事をする。お前は安全圏だな、チクショウ。
「ん」
「ん?」
我慢できなかったのか、阿部はまだ半分ぐらい中身の残ったグラスを花井の前に置いた。んで、当たり前のように花
井のジョッキを取る。うわ、こういう有無を言わせない大魔王っぷりも健在なんだ! 花井かわいそう、って思った。のに。
「お前なあ」
「…だっておいしくない」
「だからって人に押し付けんな。んでオレの取るな」
「うん、だいじょぶ。花井なら飲めるよ」
「…何だってお前はいっつもそういう根拠のねえことを…」
……ちょっと、待ってよ。ごめん、オレの目の錯覚だって思いたい。ていうかそうでしょ。そうなんでしょ!? 何
これ。どうやっても、阿部が花井に甘えてるようにしか見えないんですけど。いやいや、ないよね。そんな事! そんで、更に目を疑いたいっつーか耳を疑いた
いんだけど。花井がそれを嫌だと思ってないっぽい…。
待て待て、何だこの空気は。え、オレ気付いちゃいけないことに気付いちゃったわけ?
「はっ、花井、何か別の頼む?!」
この妙な空気をどうにかしたい一心でメニューを広げると、苦笑いしながら花井が手を振った。
「これ、とりあえず空けちゃうから」
「そっ、そう…」
「揚げ出し豆腐食いたい」
「あ、他なんか、一緒に頼む?」
「じゃあ、これとこれと…」
花井から強奪したビールを美味そうに飲みながら、阿部はご機嫌でマイペースだ。さっきの顰め面はどこへやら。し
かも、それを心なしかにこにこしてみてるよ、花井が!
もう、錯覚だといわれてもいいです。
オレにはこの二人がカップルのようにしか見えません。誰か嘘だと言って…!
居た堪れなくてそわそわしてると、阿部が便所、と一言。行ってらっしゃい、行ってらっしゃい。とりあえずこの変
な空気をどうにかしたいのオレ!
阿部がいなくなって、時々ナイター中継の音が聞こえて。頼んだ皿も来て。花井はテレビを眺めてたから、独り言み
たいに。
「……花井は、阿部に甘いと思うんですけど…」
言ってみた。それはほら、アレだろ? なんかほっとけないっていうアレだろ、長男的な! なあ?
「…水谷…」
テレビを向いたまま、花井がぽつりと言う。
「は、はいっ」
「……それ以上、言うな」
「…………ええと、花井さん…?」
「頼むからそれ以上言うな。記憶を消せ。阿部に殺される…」
…うん…。何かね、想像できる。お前は顔に出すぎだ。そんでもって、酒も入ってるから余計に。でもね、ほんとど
うにかした方がいいよ。それ。まあでも、表情だけじゃないんだ。間に流れてる空気が、すっごく優しいっつうか。穏やかっていうか。阿部ってあんな風に笑え
るんだって、改めて思ったんだから。どっちかって言ったら、怒ってる顔しか記憶にないのに。
「……同情してあげた方がいいのかな」
「いらねえ。とりあえず黙っててくれ」
「了解しました…。オレもまだ命が惜しいので」
一気に酔いさめた、って。それはオレの台詞だ。
高校時代の仲のよさを、こんな所で変な風に暴露されて、ショックなんだから。さっきよりも微妙な空気になって、
ああどうしよう、阿部にばれるかもって。恐々と顔上げたら、戻ってきて早々、三橋、って。
「へ?」
「三橋完封だ。スゲーわ、やっぱアイツ」
テレビを見上げた。我らがエースは、あわあわしながら、それでも笑顔だった。
オレら、野球で繋がってんだなあって、改めて思い知らされた。野球がなかったら、こんなとこで懐かしさにも浸っ
てないだろうし。まあチームメイトでクラスメイトだった二人が、そんな仲だったことは正直にショックだけど、でも、なんか嫌な気分ではないから。とりあえ
ずは、帰ったら栄口にそれとなく電話で聞いてみようと思うわけだ。そんくらいは許されるよね。
そっからもうちょっと飲んで、帰ることにした。あんまり阿部が強くないことが意外で、そんで花井が結構強いこと
にびっくりした。花井が、よろけた阿部の腕を掴みながらワリカンして、じゃあまたな、って。番号変わってないから、電話して、って言ったら、おーって阿部
は手ェ上げた。
駅の方向に歩いていく二人の後姿見てたら、あーあ、恋したいなあって。思った。
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